奇妙なライオンの噂を聞きました。
「オリックスの子供を捕まえたのに食べないで、付き添っているメスのライオンがいる。
その子供に逃げられると、同じことを繰り返す。
また、やるかもしれない。」
そんなシーンを撮れたらすごい。
テレビ制作者として高揚しました。
すぐに行こう!
ケニアで撮影中の取材班を、急いで現地に向かわせました。
2002年のことです。
前代未聞!噂のライオンは実在した
噂のライオンが棲むサンブル動物保護区。
管理されているので、どの辺りにいるかはすぐにわかったそうです。
オリックスの母親が生まれたばかりの赤ちゃんにおっぱいを与えていたその時、1頭のライオンが走り寄ってきます。
と、母親は素早く逃げ、赤ちゃんだけが取り残されました。
そして噂どおり、ライオンはその子を食べませんでした。
それどころか、深い愛情を示すようになったのです。
オリックスの赤ちゃんはお腹が空いてきます。でも、ライオンはお乳が出ません。
一体どうなるのか?
土砂降りの雨の中、寒さに震える赤ちゃん。
この“疑似親子”のドラマは、予想を超えた展開になりました。
ライオンは群れで暮らす動物ですが、このメスはどの群れにも属していないことがわかりました。
その寂しさが、オリックスの赤ちゃんに向かわせたのかも知れません。
行き場を無くした母性愛。
哺乳類はメスだけで子育てをするタイプが多いです。
ライオンは出産時には群れから離れ、産んでからしばらくは、ひとりで子育てをします。
過酷な野生では、命がけの母性愛がなければ、赤ちゃんを育てることはできません。
それは遺伝的に受け継がれてきたもの。
だから、我が子を失ったであろうメスが暴走したことは、わかるような気がします。
この放送は大きな反響と共感を呼びました。
そして2003年に富山市で行われた「世界自然・野生生物映像祭」で「審査員長特別賞」を受賞しました。
現在もこのYouTube動画の再生回数は伸びています。
極めて特殊な例とはいえ、このライオンの物語は人の心に響くものだったのだと思います。
ところで、この母性愛は「ゆがんだ」ものなのでしょうか?
「ゆがんだ母性愛」?
このYouTube動画のナレーターは蓮見孝之アナウンサーです。
ナレーション収録を前に、原稿を巡って、彼とちょっとしたやりとりがありました。
「後編」の締めの言葉についてです。
原稿はこうでした。
「行き場をなくしたゆがんだ母性愛。このメスライオンがよき伴侶を得て、本物の我が子をその胸に抱く事を願わずにはいられません。」
蓮見アナウンサーが言います。
「『ゆがんだ』はキツ過ぎませんか?」
アナウンス室で原稿の下読みした時から引っ掛かっていたそうです。
私は、
「そう。ここは迷ったのだけれど、放送当時この原稿を書いたのが女性だったんだよね。彼女らしい感性を大事にしたくて、そのまま残したんだけど・・・」
と返しました。
「ゆがんだ」があることで、母性の制御不能なほどのエネルギーが表現できているのではないかと思ったのです。
でも、これがこのライオンなりの愛の在りようだと考えれば、言い過ぎかも知れません。
とりあえずその場では、「ゆがんだ」有りパターンと無しパターンの両方を録りました。
迷った挙句、編集では無しパターンを採りました。
いずれにせよ、あふれんばかりの母性愛は、時に、ゆがむ。
人間にはそう見えます。
でも、大自然の子育ては、それでちょうど良いくらいなのかも知れません。
彼女の必死さが、そう語っていました。