テレビ局で働いていると、視聴者から「正しい日本語を使え」とお叱りをいただくことがあります。
確かにミスはありますが、基本的には、テレビ局は言葉の使い方に厳しいところです。
とりわけ差別を助長する言葉や言い回しについては「知らなかった」では済まされません。
TBSでは編成考査局審査部という部署が放送表現に関する管理をしています。
「どうぶつ奇想天外!」を放送していた時、「犬に餌をあげる」という表現は誤りだと、審査部からお達しがありました。
「あげる」とはそもそも目上に対して使う言葉。
動物には「与える」とか「やる」とかが正しい日本語なのだということです。
それが正しい国語だというのはわかります。
ですが、「どうぶつ奇想天外!」に限っては、違和感が残ります。
日曜よる8時の楽しいファミリー番組。
「ペットは家族の一員」と言いながら、「犬に餌を与える」という表現はどうもしっくりこない。
私はプロデューサーとして、「この番組は『ペットに餌をあげる』でいく」とスタッフに伝え、放送を続けていました。
番組が管理部門の言うことをスルーするのは、しばしばあることです。
(今はどうだか、知りません。)
審査部の人は、多分これに気づいたと思うのですが、私たちには何も言いませんでした。
実際には違和感がなかったからでしょう。
あるいは、人権に関することではないので、放って置いてくれたのかもしれません。
「里親」という単語をめぐる出来事
捨てられたイヌやネコの新たな飼い主のことを「里親」といいます。
これはもともと人間に使われていた言葉に倣ったもの。
番組でも、普通に使っていました。
ところがある時、里親の元で暮らす人間の子供から、
「自分が犬と同じように扱われるのは悲しい。」
という声が局に寄せられたそうです。
審査部はその声に耳を傾けて議論をしました。
そして、ペットには「里親」という言葉を使わず、「新しい飼い主」などと言い換えるよう、制作現場に通達しました。
私も、人間の子供が傷ついているのなら、彼らに寄り添いたいと思いました。
それから間もないころ、捨て犬の保護活動を取材しているディレクターが「困ったことになった」と言ってきました。
取材先にこの話をしたところ、「里親」という言葉は曲げられない、もしも「里親」と言えないのないのなら、今後は取材には協力できないと言われたそうなのです。
すでに撮影は進んでいました。
この話は噛み合いそうもありませんでした。
犬と一緒にしないで
「犬と一緒にしないで」という人間の子供の声は大事にしたい。
このことは、誰もが理解すると思います。
しかし、愛犬家にとって、目の前にいる保護犬は自分の子供のように思えるでしょう。
それも、とてもよくわかります。
自分が愛情を注いでいるイヌと人間の子供の間の、どこに違いがあるのか?
とても理解できないに違いありません。
さらに、そこには「ペットは家族の一員」という信念があります。
信念は、曲げられないものです。
そこで私たちは、インタビュー相手の「里親」と言う言葉はそのまま生かし、ナレーションでは「里親」という言葉を使わずに放送しました。
あの時、TBSに寄せられた子供からの訴え。
それは、多くの里子たちの心を代表しているものだったのでしょうか?
それとも、繊細な心の持ち主による、属人的なものだったのでしょうか?
わかりません。
あれから20年経った今、世の中では、ペットの新しい飼い主を「里親」とごく普通に呼んでいますし、放送でもそうなっています。
テレビやネットで「犬の里親」という言葉に触れると、私はこの時のことをつい、思い出すのです。
捨て犬たちに対する愛情と、人間の子供たちを応援したい気持ち。
ふたつのやさしさがまじりあわないもどかしさ。