どうぶつ

非情?イワトビペンギンは卵を2個産んで1羽しか育てない

上野動物園のジャイアントパンダ・シンシンが今年の6月に双子の赤ちゃんを産みました。

飼育員の努力と工夫の甲斐あって、シャオシャオもレイレイも順調に育って大きくなりました。

良かったですね!

ジャイアントパンダが双子を産む確率は、およそ45%と言われます。

大抵はそのうちの1頭だけを育て、もう一頭は見捨てられてしまうそうです。

ちょっとがっかりさせられる情報ですが、野生のパンダはそういうやり方で子孫を残してきたのでしょう。

(この2頭は上野動物園のパンダではありません)

ジャイアントパンダと同じような子育てをするペンギンがいます。

2個の卵を産んだのに、1羽しか育てない

イワトビペンギンは南米アルゼンチンの東、大西洋上のフォークランド諸島に棲んでいます。
南極圏に近い厳しい場所です。

冷たく荒れた海で魚を捕り、強風が吹く断崖の上にコロニーを作って繁殖をします。

彼らは2個の卵を産みますが、卵が孵ると1羽のヒナしか育てません。

もう1羽はせっかく生まれたのに、餌がもらえずに死んでゆきます。

コロニーには、見捨てられたヒナの死体がたくさんあり、それをカモメが食べにきます。

親は卵を二つ産んで温めます。
でも、1羽は見捨てられて死んでしまいます。

それが彼らの遺伝子に刻まれたやり方なのです。

【イワトビペンギンの壮絶子育て】迫りくる外敵から我が子を守れ!さらに原油で弱ったペンギンを海獣が…【どうぶつ奇想天外/WAKUWAKU】

同じフォークランド諸島に生きるジェンツーペンギンは、2個を産卵して2羽とも育てます。

イワトビペンギンとジェンツーペンギン。

なぜ、彼らのやり方が異なるのかは、わかりません。

イワトビペンギンの壮絶子育ての理由は???

ここからは私の想像です。

遥か昔には、イワトビペンギンも、ヒナが2羽とも育っていた“良い時代”があったとしましょう。
ところがある時、自然環境が変わって”厳しい時代”になったとしましょう。
この時、2羽とも育てようとすると餌が足りずに、ヒナが共倒れになってしまったとしたら?
2個の卵は生まれてしまうけれど、1羽だけを育てるようにやり方だけを変えてしまえば、繁殖の成功率が上がりますね。

もしかしたら、イワトビペンギンは“2個産卵する体の仕組み”(ハード)と、“1羽だけしか育てないプログラム”(ソフト)との間に、進化上のタイムラグがあるのかも知れません。

想像はここまで。
(番組は研究者の見解を取材してから放送していましたが、組織を離れた今ではそれもできないので、“想像”をそのまま書いてみました。放送じゃないので、自由で良いかな?想像するのは、とても楽しいです。いずれ機会があれば専門家に聞いてみます。)

ともあれ、イワトビペンギンにとっては2羽産んで1羽だけ育てるやり方が、この環境では、結果的に正解だったと言うことです。

今も変わらずに存在しているのですから。

人間には非情と思えるシーンが、野生では他にも見られます。

元気な子が優先…タカは非情?

ワシやタカの仲間の多くは、一度の繁殖で巣の中に数個の卵を産みます。

卵が孵ったら、親はネズミなどの餌を獲ってきてヒナに与えます。

餌やりは平等ではありません。

親は、大きく元気なヒナに、優先的に餌を与えるのです。

獲物が十分に獲れればみんなが育ちますが、そうでなかった時には、小さいヒナを見殺しにしてしまいます。

そんな時でも親鳥は、当然のことのように淡々と子育てをするのです。

非情に思えますが、命のバトンを繋ぐためには合理的なやり方です。

人間が人間らしく、すなわち“非情”でなくいられるのは、人間が住みやすい環境を作り出し、食べ物にありつけるからではないでしょうか。

人間だって飢餓状態が続けば略奪や虐待や殺人が起きるし、暴動や戦争にもなります。

極限状態で人が「人間らしさ」を失うのは、歴史がいくらでも教えてくれることです。

野生とは、人の情が及ばない世界

イワトビペンギンもワシもタカもパンダも、それぞれのやり方で今を生きています。

自然環境が変化する時、偶然の突然変異によってさまざまなやり方が試されたはずです。

その中で、彼らのような合理的なやり方をとった者たちが、たまたま命を次の世代に渡すことに成功した。

番組を放送していた頃、司会のみのもんたさんが千石正一先生に聞いていました。
「彼らはなぜ、そういう行動をするようになったの?ちゃんとした”理由”があるはずでしょ。」

先生は、一瞬ちょっと困った顔をします。”理由”を明確に答えることはできないからです。

なぜそうなったのか?

誰も進化の瞬間を見たことがありませんし、再現することもできません。

その時々のあらゆる要因が絡み合ってたまたまそうなっているのですから、研究者の意見が分かれることも多いのです。

私たちはただ、その動物たちが辿った「進化の結果」だけを見ているのです。

遥かな時を超えて、力強く繰り返されてきた野生の営み。

そこは、人間の「情」が及ばない世界なのかも知れません。